うわごと。

散文ばかりをまさに散らかしている。

河川敷ってめっちゃ言う話。

大学の頃の同期のふたりと飲んできた。

 

いやね、楽しかったのよ。

何やら面白い話も出てきそうで、それもそれで楽しかったし楽しみだし。

 

なんていうか、ああこういう人たちとたまに会って話さないと、僕は僕で偏っていってしまうんだろうなって思った。

他愛のない話と仕事の話。

中身が無いわけじゃないけど、空っぽな話。

自分の中に隙間をたくさん作ってくれて、そういうものが配置されていくお陰で、どこかに完全に偏って立つ事が出来なくなる。

 

それが、ただただ有難いのよ。

金がなきゃ河川敷で缶ビール片手でも集まるだろうし、そうやって川に石でも投げながら話すのだって、多分今日話した事とそんなに大差ない事を話すだけだ。

 

幸いにも居酒屋で飲めるだけのお金がみんなあって、だから居酒屋で寒くもない環境で気持ちよく飲めたんだけど、多分あの居酒屋は河川敷だったんだよ。

 

いや、居酒屋なんだよ。

本当にちゃんとした、屋根と壁のある、ね。

だけど、河川敷であれこれ言う感覚のまま話していた。

 

上京してから飲みに行ける友人もできたし、そういう時間も有難いなぁと思ってはいるのね。

別に心を許せてないとかそういう事でもないんだよ。

 

でもやっぱ、なんか、こう、河川敷じゃないんだよ、そういう人たちは。

相手のせいでも自分のせいでもなくて、どうしてもそういう人たちと河川敷な感じには到れない。

 

生きてしまったんだろうなと思う。それだけの時間を。

まだそんなに生きてなかった頃から知ってるからこそ、居酒屋に河川敷を展開できるんだろうね。

 

こいつは何回河川敷って言えば気が済むんだろうね。

 

雨が降ってるけど、傘が鬱陶しくて放り出して、びしょびしょに濡れて歩いて、それでも物足りなくて道路を転げ回って、それでいてゲラゲラ笑えるような気分の時もあって。

 

例えば、後から出会った友人たちはそういう光景を見守って笑って受け入れてはくれるんだよ。

そんな友人に出会えた事も本当に幸運で、別に何も物足りなくなんてないのね。

だけど、そんな時間を生きる前から知り合ってる友人たちっていうのは、一緒になって道にのたうち回って笑い転げてくれるんだよな。

そこまでしてくれなきゃ友達じゃないなんて言う気はサラサラない。

だけどそれをやってくれるんだよ。

 

ちゃんと与えてくれて、満たしてくれるのも最高なんだよ。

期待以上の満足をぶちかましてくれるのはもっと最高で。

 

形は違っても、そういう満足を提供したいなって思った。

今日の喜びを、お客さんにも。

理想っちゃ理想だけど、だから追い掛けるもんだよね。

 

笑えるぐらい中身のない話でしょ。

 

いつも通りあれだよ、ね。

あんま気にしないで明日も生きてください。

 

って言ったんだけど追記で気にしてほしい話があって。

その飲みにいた中に髙木ヒラクって奴がいてね。

5月に何やらお芝居作るらしいのよ。

詳細話していいか知らないからこれを。

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観に行ってみるといいと思う。

河川敷で稽古したりしてるらしい。笑

彼の脚本はいいぞ。

 

以上、追記でした。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

またね。