足跡の話。
荷物の整理をしてたら埃を被った箱が出てきて、蓋を開けたらクシャクシャになった恋文が出てきたみたいな
思い出したくない事ってやっぱどうしてもあるよなぁ。
過去って過去なはずだし、思い出も記憶も少しずつ温度が低くなっていって、いつしか手に取って輪郭を確かめる事も難しくなっていくものなはずだ。
そういう淡さとか色褪せていく事とかを、人間らしさのように感じていて、引っ括めてそれも好きだったり愛しいものだと思ったりしてるとこがある。
なのに、いつまで経っても心の時間が戻るようにやけにリアルに思い出す事もあって、そういうのは決まってあまり嬉しくはない出来事と手を繋いでいる事が多い。
いつでも取り出したい幸せは長くはリアルに残っていてくれないくせに、さっさと手放したい気持ちはしつこく心のど真ん中に居座ってる。黒い空洞の形をして、ぽっかり穴が空いたままの状態をひたすら心に強いる。
常々よくできてるなって思うの、心の構造って。痛みって呼べそうなそういう感覚が残っている事は生きていく上でなかなか辛くもあるけどそれでも価値があるものだ。
痛いうちは、同じ失敗を恐れるし、そうやってできていく言動の習慣っていうのは確かにある。
それは言葉の端々にみんな出ているし、だから少し真面目な話なんかをすると、その人がどんな経験をして今日まで来たのかをなんとなく感じたりもする。
人格を形成してるのは心だろうし、心を形成しているのは経験と時間だ。
習慣化っていうのはあれ。
ガラスのコップを何度も落として割った事がある人は、割った事を忘れるまでの間はコップを注意深く持つし、それでも何度も割った人は多分ガラスのコップは使わない。
プラスチックとか木製とかステンレスとか、割れにくいコップを使う。
逆に言えば、プラスチックのコップを使ってる人を見ると、ああ、何度も割ったんだろうなとその人の経験を推測できる。
ああ、まさかとは思うけど言葉通り読み取り過ぎないでね。割れにくいコップを使っている誰しもがガラスのコップを何度も割ったと決め付けてるわけではないよ。
流石にそんな事はわかってるだろうけど、ね。
これは行動だけじゃなくて、精神性にもある事だと思うんだ。だから心を形成しているのは経験と時間だって言ったんだけどさ。
だから何って、ただそういう過去の気配を人から感じる瞬間が結構好きなんだよ。
人生に挟まれた栞なんだ。時々飛び出ていて、それを抜ききらないように引っ張って読む。
ああ、そんな過去も君の中にあるんだねって。
会話の間にはそういう隙間がいくつもあって、言葉と言葉の間のそれを手に取って楽しんでいるんだ。
余白を聞くっていうか、行間を読むっていうか、そういう感覚。
みんな心のどっかでそういうものを察知しているんだと思ってたんだけど、結構違うらしい。
そう思い知った過去が、今の僕を形成しているんだ。
で、一体何を思い出したかって。
それが上手く言葉にできるんだったら、こんなに長々とブログ書いたりしてないや。
とりあえず家に埃を被った箱も恋文もないって事は確かな事で。
ただ、少なくともこう、何かを書きたくなる衝動は引き起こされたんだ。
どっかで表現する、と思う、多分。
まぁほら、いつものあれだ。
あんま気にしないで明日も生きてください。
最後まで読んでくれてありがとう。
またね。