知識の使い方が変だなって話。
実は学生の頃も日記みたいなブログをやってて、その頃は20人くらいアクセスあるともうなんかすげぇなって思ってた。
ひとつ記事書いて1日で200アクセスとかあったから、なんか、ブログに対して学生の頃の感覚のままだから『?!』ってなってる。
あ、こんばんは。
その内何人が読んでくれたのかなんて知らないけど、わざわざページ開いてくれてありがとう。また来てね。
でね、あのさ、増えたよね。
何がってあれよ、声優志望とか俳優志望とか、役者志望の人たち。
世の中そんなに簡単じゃないけど本当に増えた。
夢を追う事は悪い事じゃないけどそれにしても増えた。
僕も多分そのうちの一人でもあるから、だから何ってそこには何も言う事はないんだけどね。
いやね、そういうさ、お芝居とか演技とか演劇とか、そういうのに取り組んだり勉強したり持論とか持ちつつある夢追いくらいの人たちにね、めっちゃ観劇とか映画鑑賞とか楽しむのが下手だなぁって人が増えたなと思うの。
半端にお芝居の知識とか持っちゃったものだから、アンケートとかにすごい偏った意見書くのよ。
〜はこれくらいできなきゃダメなのにここがこうでああでできてなかったからどうで
とか、あのさ、ワークショップの意見交換とか講評会じゃないから、もうちょっと素直に楽しんだほうがいいんじゃない?って思うの。
もちろんね、もちろん、提供側のクオリティや技術が低い時もあるし、いろいろ意見言ってあげるのって良い事よ。
受け取る側も貴重だと思ってるし、大変有難いんです。
もうなんか、滑舌の事教わったばかりの声優志望の人とか、舞台見たり映画見たりアニメ見たりしても、誰それの滑舌がとかずっと言ってる人がいるのよ。
いやほんと、結構な数いるの。
最近学んだ演技の知識みたいなので頭がいっぱいな、いろんなパターンの人がいるけど、とにかくとにかく視野が狭くなっちゃって。
アクセント(訛りとか共通語とかの発音の音程の事、よく誤ってイントネーションと言われる)について勉強した人は、役者が訛ってたらやたらその事ばかり言ったりね。
出演する側に立った時は、そういう細部に至るまで何もかも意識して注意し合えるのも良いかもしれんけど。
役者も演出家も作家も、技術屋の皆さんも、基本的には作品の面白さを、魅力を表現する為に演技したり光当てたり音出したりするんだ。
根本的に作品に没頭できないくらいそのへんの技術が低かったならともかく、概ねそうでもなく、時折失敗したりしただけでもう親の仇なのかってくらい指摘するのよ。
そんな見方して楽しいのかなって思うくらい。
演じる側を目指したって、見る時はすべからく誰もがお客さんだから、もうちょい面白いかどうかを見てた方が良いし、それに関係するあれこれをアドバイスしてあげたり感動したって伝えてあげたほうが相手の為にも、自分の為にもなるよ。
素直に作品を楽しもうとできなくなったら、素直に作品を表現もできなくなる気がするんだよ。
作品に向かい合う自分の心はひとつだから、使い方に変な癖付けないほうが良いと思うんだよ。
偏った技術にばっか目を向けててもお芝居は上手くならないから、重箱の隅をつつくレベルで指摘するのやめたほうがいい。
あと、自分の弱点とか今ぶつかってる壁とかある人は、お客さんとして観に行った時も演じてる役者さんのそういう所だけ注意深く見て指摘するのやめたほうがいいよ。視野が狭くなるだけだから。
ちょっと批判っぽくなったけど、みんながそうなわけじゃないし、学生の頃に思ってた事とかもあちこちに紛れてるから最近思った事ですらない所もある。
これはね、一言でまとめると、あれ。
世界的ロック・スター
エディ・ヴァン・ヘイレンの名言
一流のプレイヤーは一流のリスナーでもある。
みたいな事よ。役者も
良いプレイヤーになりたきゃ、良いファンでいなきゃね。
みたいな話。
今日はゆるくなかった?
まぁ今回もその、なんだ
あんま気にしないで明日も生きてください。
最後まで読んでくれてありがとう。
またね。