正解なんてなくていい。
質問箱に、500文字でも答えられそうにない質問が届きました。
これは質問をしてくださった方に限らず、創作活動をする中で同じような想いに直面した事がある方もいらっしゃるかもしれない。
そう思いまして、こうしてブログでお答えする次第です。
応えられていたらいいなぁ。
まず、質問はこちら。
あくまでも、持論としてお応えします。
創作に必要なのは譬え話をする能力だと思うんです。
日々感じた様々な想いを、譬え話に加工する事。
結末のある譬え話は物語の形になるし
可視化すればイラストになります。
譬え方は自由です。
月のクレーターが作った陰を、地球から眺めて”うさぎの餅つき”だと言えれば、実は完成していると思うんです。
繰り返す内にクオリティは上がるから、難しく考えないで、伝えたさに従って自由な譬え方でいいと思うんです。
いろんな枠組みや型はあるけれど、それは練度が上がる内に身に付くし、知りたくなります。
その時に、入門本を読むとか、先人に教えを請うとか、それでも気にせず型破りに進むとか、またその時に考えればいい事だと思っています。
譬え話をするにも、譬える為の元になるものが必要なんですけど。
そういうものを集める為に頼りになるのはいつも自分の価値観と感受性や感性だと思うんです。
作品に感動する事とか、人とのコミュニケーションの中で生じる摩擦とか、価値観の違いによる関係性の歪みとかももちろんあるけれど。
別に決してそんな大袈裟な事じゃなくても良くて。
散歩が好きである、とか。
散歩なんて呼ばなくても、街を歩く事さえ楽しいと感じる事があったり、時にわけもなく振り返りたくなったり。
落ちている手袋をじっと見つめたり、夕日に腹が立ったり、夜空に泣いたり、海を眺めたくなったり、ね。
感受性アピールだとか、痛いとか笑われたって、そういう感受性や感性を愛して、守って、大切にしていないと、創作の種は集まらないと思うんです、きっと。
わけもなく何かが気になったり、心惹かれたり、根拠を捉える前に好きだとか嫌いだとか感じる事ってたくさんあると思うんですよ、本当はね。
だけど生きにくい世の中で、大人になっていくほどそういう事に理由を求められて、理由を気にするあまり、無根拠でも子供の頃信じていられた事、愛せていた事から離れていってしまう。
人が感じないような事を感じられる特別な能力が必要だとか、そんな難しい事じゃないと思うんです。
童心とか少年の心とか少女の心とか、そんなふうに呼ばれる素直さみたいなものがあればいいと思うんです。
だから、特別でなくてもいいし、平凡でなくてもいいんです。
誰かと共有できるものを持ちながら、わかってもらえない部分もあるくらいが人間らしいと思います。
そのマイノリティに孤独を感じるような、思春期みたいな時期をバカバカしく思っても、許して生きていてほしいです。
変わった人間でなくていい。当たり前の、そのままの自分で、創作は光りますから。
創作に対して抱えているその悩みとか苦悩だって、そのまま譬え話にしてしまえば、きっと似たような経験や悩みや苦悩を持つ人たちに響くはずです。
きっと、言葉にするのはすごく怖い質問だったと思います。
その尋ね先に僕を選んでくださって本当にありがとうございます。
いつか貴方の創作の世界で、息をする機会がある事を願って、これからも精進します。
ブログとしてはいつもと違う形になりましたけれども。
まぁこれもあくまで僕の持論に過ぎないけれども。
ちなみに質問箱はこちら
最後まで読んでくれてありがとう。
それじゃあ、またね。