うわごと。

散文ばかりをまさに散らかしている。

嫌いも悪くないかもって話。

きっかけは何でもない食事の話だった。

食べた事がないものの話をしていた席で

「あの美味しさを知らないなんて勿体無い」

という言葉が出てきた。

そう言った友人は別に悪気もなければ深い意味もなく言ったんだろうと思うし、その発言自体に何かこう、とやかく言うつもりはない。

 

そこからもくもくと頭の中で考え事が始まった。

 

好きなもの見落としたら勿体無いって言うのに、嫌いなものだとあんまり誰も言わないよね。

 

なんていうか、僕は好きなものもたくさんあるけど、大嫌いも積み重ねて生きてきたし、そうやって嫌いなものをたくさん知った事は財産だと思ってる。

漠然と前向きでいたいとは思っているけど、後ろ向きな気持ちから遠ざかりたいとは思わなくて。

こう、責めるつもりはないんだけど、それでも

好きなものしか見てない人って、盲信的に偏ってて怖いなって時々思う。

だから好きだけじゃなくて、嫌いも、好きと同じくらい価値のある感情だと思っている。

 

 

毒と解毒剤はワンセットで扱わないと危険だというか、そういう感覚で好きと嫌いを捉えている。

案外好きと嫌いだったら好きのほうが毒なんじゃないかと思う。

それ自体は悪い事じゃないと思うけど、何かを好きって状態異常が掛かってる事は自覚してるほうが良いと思うし、解毒剤も用意しておかないと、盲信してしまった時に自分の愚かさを止められないと思う。

 

誤解されたくないからはっきり言っておくけど、嫌いも嫌いで毒だとは思う。

だから、意図的に何かを嫌う必要もないだろうけど、嫌いだと感じた時は、それをそう感じたままおいておく事も大切だとは思うんだ。

 

どっちも毒だし解毒もできるから尚更。

好きも嫌いも悪い事じゃないけど、毒を以って毒を制する。みたいな事だ、多分。

 

好きなものたくさん集めて、好きだけでいっぱいにして、好きが飽和したら当たり前になって、そしたらどの好きも普通になって、刺激がなくなってしまう。

そんな気がするから、嫌いもあって、それがスパイスになるおかげで好きが際立ったり引き立ったりするんだと思う。

 

苦労なんて買ってまでする必要ないと思ってるし、わざわざ嫌いに出会いに行って不快になる必要もないだろうし、

ポジティブな精神論は心の助けになるけど、そればっかり大切にして嫌いを無意識に避けて避けて、遠ざけてしまうのはやっぱり、なんていうか、良くないと思った。偏ってしまいそうだから。

 

無意識に、

好きは良い事。

嫌いは悪い事。

って、決め付けているような、その前提がふと恐ろしくなった。

 

自分も気を付けようと思った。

 

何かを好きになれるってすごい事だ。

嫌いになれるのも、すごい事だ、きっと。

 

嫌いになってしまった自分を責めないようにしていたいし、理想を言うと、好きになれない事に、誰も傷付かないでほしい。

 

好きも嫌いも、誰かに押し付けなければ、そのまま持っていていい感情なんだろうなって、なんか、その話をしながら改めて噛み締めたんだ。

 

そんだけ。

まじで。

 

だからあれだ、あの

あんま気にしないで明日も生きてください。

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

それじゃ、またね。