うわごと。

散文ばかりをまさに散らかしている。

「ここから。」に寄せて。

human spice 第四回公演 「ここから。」

無事にすべてを終える事ができました。

 

ダブルチームの中、拓とふたりで

シングルキャストとして呼んでもらって。

 

主人公に継ぐ、キラキラして眩しくて

素敵な役を預けていただいて。

 

演出のヒロを始め、キャストの皆さんも

スタッフさんも本当に良い人たちばかりで

お陰様で最後までのびのびと稽古に取り組む事ができました。

 

あっちこっちにアドリブもあって

実は予定外の事態もいくつか起きていて

だけど、そのどれもを自然に、当たり前に

いつも誰かがカバーして、無事に終えられました。

 

向き合うには本当に重たくて難しい台本で

だから、みんなそれぞれに何かを思っていたみたいだし、

何かを抱えていたみたいだった。

 

役の心情として語られるべき言葉に

役者個人の私情が混ざってしまう事って、本来ならやっちゃいけないと思ってて。

だけど今回の台本に関しては、それすらもスパイスになってくれるかもしれない、なんて思っていました。

 

ヒロの書く本にはいつもそういう、人間らしさとか人間臭さが見事に描かれていて、今回もその台本を演じる事ができて幸せでした。

 

みんなで作り上げた公演を

たくさんの方が、足を運んで、観てくださって

いろんな感想をアンケートやSNSにも書いていただいて

有り難く思っています。

複雑な言葉もたくさんあって、すぐには言葉にできない事も多いかなと思いました。

帰り道とか、シャワーを浴びる頃になんとなく思う、考えるきっかけになっていたらなと。

それだけで十分だと思っていましたが、実際たくさんの感想を読む事ができて本当に嬉しかったです。

 

 

 

少し、自分の話をします。

多分きっと、これは作品とか、公演の余韻を味わう上で野暮な事かもしれません。

 

僕自身が木村コウジという役を預かって

最初はかなり悩みました。

 

純粋で真っ直ぐで、眩しかったから。

そんなにキラキラできるほど、僕は綺麗じゃないっていうか、汚れた部分もたくさんあるから。

 

実際その落差は自分の中で大きな亀裂になりました。

自然に語れない言葉がいくつもあって

体も顔も強張って、嘘になってしまう。

 

悩んで悩んで向き合って、ふっとある日気付いたんです。

Twitterをチェックしてくれてる人は覚えてるかな。

書き殴ってツイートをするのを辞めた、420字。

『やりたかった事とよく似ていて少し違う事をしながら生きているんだけど、やりたかった事はそっくりそのまま趣味になって、何が嫌になった時もそこへ逃げ込めば自分を持ち直す事ができたし、生きている事はいつだって実感できた。確かめる方法もなく、何かに向かって真っ直ぐ歩けるほど、僕は強くない。』

『大好きで夢中になれる事だけを真っ直ぐ見つめて歩けなくなったのは、歳を重ねたからでも、現実が見えるようになったからでも、ないんだと思う。そういうものはもっともらしい言い訳で、心を掘って掘って、怖いからだって気付いたんだ、認めたくないけどさ。多分そいつと向き合わないと、板に立てない。』

『だからまずは認めよう。僕はただ、失敗するのが怖くて、上手く行かなくて格好悪いって思うのがただ怖くて、それだけの理由で真っ直ぐ歩けなくなった。情けない程弱くて、ダサくて、見栄っ張りな肥大化したプライドだ。そんなものどうでもよくて、この気持ちに微塵も価値がないって、心で理解しないと。』

 

コウジと向き合う中で自分が酷く傷付く羽目になったのだって、コウジが眩しいせいじゃなくて、自分の不純さが浮き彫りになっていったからなんだと思う。

実際問題、あんなに真っ直ぐに好きを見つめていられる人ってなかなかいないと思う。

現実の問題も、将来の不安も、本当は無視できないし。

 

そう思っていたんだけど、なんだかんだ言って今でもやりたい事はずっと続けていて。

なんで辞めないのって言われても、好きだからとか、やりたいからとか、そんな理由しか出てこなかった。

これだと思った。

全部じゃなくても、これは使えるって。

心の中からそれが溢れ出して、彼のそれと共鳴してくれた。

それと同時に、自分の中の不確かさとか不安とか自信のなさもありありと見えた。

 

コウジは芝居も下手、家庭も厳しい。

もしかしたらこういう気持ち、彼の中にもあって、自分で抱えて向き合って、溶かして飲み込んで、それでも結局”歩きたい”って、やりたいって思えるだけの強さがあったのかもしれない。それが眩しかったのかもしれないって。

 

ずっと違う世界にいるというか、どこか別格のような心の強さを持ってるって感じてたコウジに、コンプレックスの可能性とか匂いを感じた時に、初めて身近に感じる事ができて、手を繋ぐ事ができるかもしれないって思った。

 

それが、作家や演出の意図した事とどれだけ違っているかとか、ズレているかとか、やっぱり最初は考えたけど、そうやって間違える事とか、失敗する事をまた怖がって逃げるのは嫌だって、それだけは絶対に嫌だって、その気持ちがあって。

だから、思い切って堂々とやって、結果演出としてヒロからダメ出しをもらう時間は少なくなった。

必ずしも良い事ばかりじゃない事はわかってる。

でも確実に、目に見える間違いや悪い部分は減ったって、いつもダメ出しを丁寧にしてくれるヒロが言及しない事を前向きに信じていた。

 

だから、勇気振り絞って、バカになる覚悟を決めて。

凸凹な道でも、転びそうでも、真っ直ぐ、直線で進もうって。

目もくれず進んでいくだけで、きっと彼みたいに無敵になれると思った。

 

起点を正せば自今へ。

 

この台本と出会って、僕自身の起点と向き合う事ができた。

きっとこれからも、真っ直ぐ歩いて行ける。

座組も、お客様も、本も、役も。今回の作品が与えてくれた出会い、すべてに、感謝しています。

 

アンケートやSNSで、コウジのそういう真っ直ぐさやキラキラした眩しさに何かしら言及していただけてるコメントを見る度に、ホッとしながら、それに支えてもらって次の本番、次の本番ってずっと歩いていられたんです。

 

コウジの事を書いてない感想が支えになってないとかそういう意味では、決してなくて。

いろんな思いを綴って、目に見える形で届けてくださって本当にありがとうございました。

 

 

いつまでも書き続けてもあれなので

そろそろこの辺で。

 

野暮だったらごめんなさい。

最後まで読んでくれてありがとう。

 

大好きなみんなの写真を添えて。

 

関わってくださったすべての皆様。

本当に、本当に、ありがとうございました。f:id:Noimnotex:20190703224449j:image
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